2011年12月20日火曜日

龍寶寶 Dragon Baby

来年は辰年。中国語ではまさにそのまま龍の年。
どうやら龍の年に生まれる子供(龍寶寶)はめでたいらしく、来年はベイビーブームが予想されているとのこと。DemandはあるがSupply(病室)は限られているので、今年に比べて出産費用は大幅な値上がりと熾烈なベッドの争奪戦が予想されている。もともと大陸の妊婦が香港の市民権を子供に与えるため香港で出産することがブームになっており、既にかなり供給不足が言われていたところに龍寶寶ブームということで、競争率は更に上がってしまうのだろう。
そういえばここ最近芸能人の結婚ラッシュが続いいてるような気がするけれど、龍寶寶を狙って、ということなのかも知れない。

ちょっと前では2007年には黄金の豚で縁起が良いと言われ、2008年はオリンピックベイビーということで大陸ではちょっとしたブームになっていたらしい。日本人はそこまでイベントに振り回されないような気はするけれど、こんなちょっとしたことで出生率があがるなら、それはそれで良いのかも知れない。日本も出生率が低い低いと言われているが、国連の統計では1.27となっているが、香港は更に低くなんと1.02とのこと。の割には人口は増えていっているので、外からの流入人口、特に中国から、が出生率の低さをカバーしていると予想できる。なので、香港人はやたらと大陸人に対して文句を言う事があるけれど、大陸からの人の流入がなければ、香港だって日本と同じように人口減少の道を進むことになってしまう。

香港と日本の違いは、そこで外からの人の流入を積極的に受け入れる覚悟を決めたかどうか、というところ。週末の中環など行くと、一面道路にフィリピン人が座って週末を楽しんでおり、道路もそのために歩行者天国にしてしまっているぐらい。見た目は全く良くないのだけど、移民を受け入れるということはこういうことだ、とふと思う。日本でこれが可能だろうか。丸の内の金融街にフィリピン人が地べたに座って飲み食い、歌って踊るような、そんな光景が受け入れられるとは思えない。

日本もインドネシアからの医療関係者の受け入れを始めたという話を聞いているけれど、どれも中途半端で本気度が全く伝わってこない。本気度、危機感、覚悟、どれも全く今の日本からは感じられないように思える。なんとかなるんじゃないか、理論的には移民は必要だけど、心理的には受け入れたくない、そんな風に香港から眺めると見えてしまう。

さて、MBAのクラスメートとそんな話をしていたら、最近結婚した女の子が一言、龍寶寶だけは産みたくない、と。なんで?と尋ねると、龍寶寶なんて産んでしまったら、子供同士の競争に巻き込まれて不利なだけだ、と。確かに、子供が一気に増えたら、幼稚園、小学校、中学、高校、大学と、ずっとその世代と競争していなければいけない。元々お受験文化で激しい競争に晒されている香港の子供に一層のプレッシャーを与えてしまうことになるのだ。なるほど、そこまで読んでいるとは、さすがにその受験戦争を勝ち抜いてきただけあるなあ、と元スチュワーデスで今は政府機関に勤めるその子を見る目が変わった。香港のエリートはなかなか抜け目がないのだ。名より実をとる。

2011年11月30日水曜日

これからは・・・

中国語の時代なのか。
MBAのクラスメートのインド人が中国語の勉強をしている。

数ヶ月前から始めたとは聞いていて、家も近所なので、
朝会うと、"Koh-san, 你好"と声をかけてくる。
こっちは苦笑しながら你好と返すのだけど、彼はいたって真面目なのだ。
真剣に中国語が今後のキャリアに生きると信じて通勤バスの中でもこつこつと勉強している。
どうやらプライベートチューターを雇って、家で奥さんと一緒に教えてもらっているとのこと。

香港で就職活動をしたフルタイムのMBAの学生に聞いても、
もはや中国語が話せないと仕事はない、と言い切る。
というのは少々誇張気味で、彼自身は中国語できなくても香港で就職しているのだけど、
それでも多くの企業に面接で回った上での感想がこれなのだから、
世の中の流れはそうなのだろう。
そういえば、クラスメートの韓国人だって確か中国語のクラスに通っているとか。

にわかに始めたインド人には負けられない。
旅行には十分なんてレベルで満足してはいられないのだ。
感覚的には後少しでなんとか使えるレベルの線を越えられそうなんだけどな。
その線を越えられるかは、実際その言語の世界で生活しているかどうかが大きな鍵だと思う。
どうしたものか、と悩みながら、その前に英語のリーディングにもまだ四苦八苦しているのが現実なのだけど。 ここ一年でもだいぶ成長したとは思うのだけど、次から次に壁はやってくる。なかなか、ここまでできれば、というところまでは辿り着かないのだ。

2011年11月27日日曜日

トラムでGO!

香港島の中での移動で、時間がある時に利用するのがトラム。
香港電車有限公司という会社が運営しているが、2010年にフランスのヴェオリアという会社に買収された。

こちらは2010年にヴェオリアが50%の株を取得した時の記事。


ちょっと前まではどこまでの乗っても2ドルと破格の安さで、また路面電車で窓からのんびり街の景色が眺められるのが風情があって、ゲストが香港に来たときには必ず案内していた。
最近2.3ドルに値上がりしたけど、それでもまだまだ格安。


今回はちょっと前にUSTのMBAを卒業した先輩が毎年開催している、トラム一台を貸しきってのパーティに初めて参加。香港島の西環あたりから出発して、北角のあたりで折り返してハッピーバレーを通って西環に戻る約3時間のコース。
ここずっと忙しくてイベント的なものにも参加できずにいたけれど、今回はツアーそのものももちろん楽しかったけれど、これまで会えなかったフルタイムMBAの日本人学生や香港在住の日本人と新しく知り合えたのが大きな収穫。たまには外に出なければ、と改めて痛感。

1904年から続く伝統企業がフランスに買われたということで、買収当時はちょっとした騒ぎになったけれど、その後も特に目立って変わったことはなく、相変わらず市民の足として活躍中。
日曜日はフィリピン人メイドで車内はいっぱいになるのだけど、観光資産としての価値もまだまだ延ばせると思う。香港に来た方には一度は乗って、車窓から覗ける香港の日常生活を楽しんでもらいたい。西環、上環、湾仔そして北角あたりが生活感漂って個人的にはお薦め。








2011年8月24日水曜日

中国人はiPhoneとiPad持ってバックパッキング

なんだか自分よりよっぽど進んでいるなあ、と感じた。
先週一週間雲南省を旅行。
昆明まで飛行機で飛び、その後列車で麗江、そこからバスでシャングリラまで登り、
二泊した後、またバスで麗江、そして大理、昆明と戻ってきた。
シャングリラなんて、結構山の中、って印象があったので、
自分は腰引けてiPhoneすら香港に置いていったのだけど、
なんのなんの、どこまで行っても携帯は通じるは、
インターネットカフェはあるは、wi-fiは標準でホステルでも提供しているはで、
中国人の若いバックパッカーは、スマートフォン持って、
GPSなんか使っちゃって、地元の友達とチャットしながら旅行しているのでした。

昆明はもう大都会。一日目は香港から着いてすぐ列車の駅に向かい、当日の切符を買って麗江に行き、最終日も昼過ぎに帰ってきて夕方の便で香港に戻ったので、結局一泊もせず。省都だけあって、人口も香港とあまり変わらないし、一週間しかないこともあって、今回は通り過ぎただけでした。

麗江までは列車で約8時間ぐらい。桂林に行った時と違い、今回は3段ベッドの真ん中。一番上よりはましとは言え、まだ座ることもままならないぐらい狭い。まあ、ほとんど寝ていたので関係ないのだけれど。麗江には朝着いて、そのまま友人のお薦めのユースホステルに直行。そろそろユースホステルに泊まる齢でもないのかな、と思ったけれど、意外と老若男女、いろんな人が泊まっている。
麗江の標高はまだ2000m強だけど、それでも少しは 高山病の症状らしきものが。ひたすら古城地区を歩き回り、写真を撮り、特産の米線(ラーメンのようなもの)を食べる。主な場所はかなり観光地化されており、中国人の旅行客が大量に訪れている。古城地区の一部にはバーやクラブが立ち並び、興醒めするほど西洋文化が入り込んでいる。立ち並ぶ伝統家屋と流れる音楽のギャップ。でも中国人にはそれも旅行の楽しみの一つらしく、ある旅行会社で聞いた話では、伝統的な建物や文化に興味を示すのは、どちらかというと海外からの旅行客が多いとのこと。一応世界遺産に指定されている地域なのだけど、意外なほどに商業化されているのでした。

麗江からシャングリラまではバスで4時間ほど。なにを間違ったのか、18人乗りのちっこいバスに押し込まれ、臨時便に乗せてあげる、と言われた時点でおかしいと気づけばよかったのだけど、飛行機のエコノミークラスの更に半分ぐらいのスペースでひたすら耐えたのでした。車内では飲むは食べるは吸うはで、煙いやら臭いやらでシャングリラに着いた頃にはかなりお疲れ。

シャングリラでも伝統家屋を利用したゲストハウスに二泊。一日は自転車をレンタルして、7kmほど先のナパ海と呼ばれる高原までサイクリング。ここまで登ると標高も3000mを越えており、ちょっと動くが驚くほど息が切れる。サイクリングも休み休みで酸素が足りないためか、こんなに弱かったかな、というほどすぐ疲れる。それ以上に高山病も怖いので、水ものみながらそろりそろり。カナダ、オランダ、アメリカ等から来た人が経営しているカフェや食堂がいくつかあり、いろいろと面白い話が聞けた。アメリカ人のカフェオーナーは、トレッキングツアーも開催しているというので、次回機会があれば参加してみたい。彼はNYで弁護士をしていたこともあり、日本の長野でも3年英語を教えていたとのこと。残念ながら日本人はこの地に住んでいる人はいない様子。
ここまで来てもインターネットも携帯も全く問題なし。中国を少しなめていた。旅行客も多いけど、比較的長期滞在を楽しむような層が多いように感じる。特に欧米人の家族連れが意外に目立ち、中国人のツアー客は相対的に少ないよう。
この地区はチベット 族の地域。建物や食べ物も麗江とはかなり違う。タクシーに乗ったら、運転手に"何族だ?"と聞かれて困った。日本人はやっぱり日本族なんだろうか。聞いてみたら中国には50を越える民族があるのだとか。日本は?と聞かれたので、1つ・・、か2つ、と言っておいたら随分驚いていた。改めて考えてみると韓国系や中国系だっているのだから、日本だっていくつか民族ってフレームがあってもおかしくないかも。

シャングリラから麗江への帰りは、高快バスという大型のバスを指定した。一人分のスペースもたっぷり、香港映画を車内で2本連続で流してあっという間に麗江に到着。チケットの値段はほとんど違わないのに、なんという違い。
麗江では少し離れた束河という地区に宿泊。地元では古鎮と呼ばれているとのことで、麗江古城よりも若干落ち着いた感じか。平たいので麗江古城のような丘からの眺めはないけれど、こちらの方がまだ旅情を感じられるかもしれない。
翌日は麗江を作ったナシ族の村、白沙までタクシーをチャーター。一時間半ほど村でぶらぶらして、同じタクシーでバスターミナルまで送ってもらう。運転手はちっちゃくてつまらない村というようなことを言っていたけれど、外国人にはそれなりに楽しめる、風情のある場所だった。

最後の二日は大理石で有名な大理に宿泊。ここはまた麗江からバスで4時間ほど。今度は香港映画ではなく、なぜかダ・ヴィンチ コードが流れていた。車内で吉林から一人旅をしているという寅さんのようなおっちゃんの隣になってしまい、なんだかいろいろと話しかけられ時間つぶしになる。中国語なので全部はわからないけれど、そこそこ会話にはなる。本気で勉強すれば少しは使えるようになるかもしれないとちょっとモチベーションにな る。
大理も中国人のツアー客が多く、古城地区もかなり観光地化されている。ので、またまた自転車をレンタルして、一時間ほどの場所にある白族の村、喜洲までサイクリング。大型バスがぶっ飛ばす幹線道路沿いを走らなければいけないので少々気を使うも、途中の景色も楽しみながら、バスからではなかなか難しい写真も撮りながらのんびりムード。探したのだけど、なかなか詳細の地図がないので、勘を頼りになんとか計5時間程度のサイクリングを完了。あとでグーグルマップで見たらよほど細かく出ていたので、今回は時間がなかったこともあるけれど、事前準備の足りなさを実感。それも旅の醍醐味ではあるけれど。


そういえば、今回は13日から8日間の予定だったのだけど、13日に空港に行ってみると、オーバーブッキングだということで、なんだか広州経由の乗り換え便に回されそうな雰囲気。それは面倒くさいと思い、14日からの8日間に急遽変更してもらった。搭乗口まで行ったのだけど、そこから帰宅。家が東涌でよかった。ただ、1000ドルの返金と行きのビジネスクラスをアレンジしてくれたので、時間に少々余裕のあった今回にしてみれば、若干お得感を感じる結果に。
というわけで、香港への戻りも21日の日曜日になってしまい、休む間もなく翌日から仕事。高山病の名残か、頭痛が数日消えなかったけれど、医者に処方してもらった頭痛薬でなんとか回復。自分のようなスタイルでは、一回目の旅行ではなかなか味わい尽くせないので、なんとかまた機会を作って行ってみたい。本当に雲南の魅力を楽しむには、一ヶ月ぐらいあった方がよいのだけれど、それはなかなか難しいので、香港からはそんなに遠くはないし、また一週間ぐらいの旅で目的を絞って訪ねてみたい。















































2011年8月12日金曜日

人口普査


というのは国勢調査の意味。
先日家に帰ると見慣れぬ封筒が。香港7年目にして初めて受け取る国勢調査のアンケートだった。香港政府統計処というところが何年かに一回実施しているよう。統計処にはいつもいろいろなデータをホームページから拝借してお世話になっていることもあり、せっかく選ばれたのだからと協力することに。それにアンケートの対象に日本人は少ないだろうから、この一票(?)がサンプルの中で比較的大きな意味を持つかもしれない、と思ったり。こんなところでも日本人の存在感を増すために地道な努力・・・。



と思ったのだけど、しばらくほったらかしにしているうちに提出期限が切れてしまっていた。どうしたものかと思ったら、調査員が自宅まで訪問して聞き取りにくるとのこと。それなら、とアポイントを取って自宅まで来てもらうことに。当日は男女一組の大学生と思われる調査員が来たのだけれど、アルバイトのこの調査員もいろいろと大変らしく、訪問先で犬にかまれたり、ハラスメントに遭ったりと、楽ではない様子。調査を受ける側にとってはメリットはわかりにくいし、大体宅配便とかもなく知らない人が自宅を訪れるなんてシチュエーションになれておらず、さらに高層ビルに住んでいる人が多いので、訪問と言っても日本よりもハードル高く、大変そうなのだ。

調査票自体はシンプルで年齢や家族構成、出生地、上半期にどれくらい香港に滞在したか、等を聞かれたのだけど、面白かったのは種族。種族というと、人間ではないような、アバターにでもなったような気がするけれど、人種って意味で、何人種かってのを選ぶのだけど、用意されている選択肢が香港らしく、モンゴル、インド、インドネシア、フィリピン、ネパール、パキスタン、タイ、スリランカ、韓国、そして日本!日本って選択肢も用意されていることに小さく感動。日本の国勢調査って受けたことがないけれど、ここまで多様な人種を前提にデザインされているかなあ、とふと思った。


そういえば、質問の一つに7年以上香港に滞在しているか、というのがあったのだけど、自分は公式には9月で7年が過ぎる。一応就労ビザの更新もするけれど、同時に永久居民の申請も出すことに。永久居民の資格が取れれば、就労ビザなく仕事をすることができたり、、、、あとはメリットが良くわからないのだけれど、今年は永久居民には政府から6000ドルの現金の支給があるというので、まあそれをもらえるだけでもよいのかな、と邪なことを考えたり。


2011年8月7日日曜日

雲南へGO!

昨日のチームプロジェクトの提出を以ってMBA一年目が終了。
それについてはまた書くとして、8月はクラスを取らなかったので、
ほぼ一ヶ月まるまる休み。とは言っても、仕事はあるのだけど。
学校の宿題に追われず、毎週土日が休みで、教科書やら何やらを常に持ち歩かなくてもよいのかと思うとようやく落ち着いた気分になれる。

せっかくのこの期間をどうしようかと思ったのだけど、9月になればまた学校が始まって長期の休みも取りにくくなるので、ずっと行きたかった雲南に旅行に行くことに。
13日から一週間の予定で、昆明、大理、そして麗江を回ってくる予定。深センにはよくいくけれど、それ以外の中国は久し振りなのだ。
とりあえず一人で行く予定だけれど、雲南でボランティアをしている友人がいるので、都合が合えば現地で会えるかもしれない。せっかく買ったカメラやレンズもここのところ全く使っていないので、ようやく出番到来。

香港は中国の一部とは言われるけれど、やっぱり香港にいるだけでは中国のことはよくわからない。中国語を使う機会もないし、たまには自分の足で回ってみなければいけないなあと思う。別に中国の専門家ではないし、仕事に直接影響するわけではないけれど、間接的にでも中国の影響を受けやすい土地で仕事しているからには、知っておいて損はない、と思う。景色を楽しむだけでなく、少しでも現地の人と話す機会があれば良いので、勇気を振り絞ってつたない中国語で話をしてみようと思う。

2011年7月25日月曜日

一風堂登場




 日本の博多ラーメンチェーンの一風堂がついに香港に進出。
会社から徒歩5分の場所なので、オープンの日から二日続けて行ってしまった。
ここ数年、明らかに日本の飲食店の進出が増えている。
すぐ挙げられるだけでも、サイゼリア、大戸屋、モスバーガー、Coco一番カレー、牛角、等々。
自分が香港に来た2004年頃と比べても、明らかに進出企業の傾向が変わってきている。以前は製造業や商社なんかが多かったのが、現在は飲食、サービス、小売なんかが中心になっている。飲食、小売は、香港の地代が高いので、苦労することが多いようだけれど、香港に住んでいる日本人にとっては大変助かる。

もっと見て




















 先日の香港のフリーペーパーに小樽の特集が。
香港の人は小樽の名前を知っていることが多い。
旅行に行ったことがある人も多いし、何より映画「ラブレター」の影響も大きいと思う。北海道、小樽も映画を誘致するような活動もしているのかもしれないけれど、
どれくらい海外の監督やプロデューサーにアプローチできているのだろう。

日本、北海道はとてつもない観光資源を有していると思うのだけど、それを現時点でどれだけ引き出すことができているのかを考えると悲観的にならざるを得ない。
そして外へのアピールと共に、受け入れる体制づくりもまだまだこれからのような気がする。英語は交通機関や通信手段と同じように、インフラと位置付けて改善しなければいけないのは言うまでもなく、それに加えて海外、外国、外国人という存在に対しての認識は大幅にパラダイムシフトする必要がある。

この話を始めると言いたいことは次々と出てきて止まらないのだけど、もう将来的に、とか、最大限の努力、とか、できるところから、とか曖昧なゴール設定ではなく、本気でやっていかないと、貴重な機会を相当無駄にしていくことになってしまうと思う。海外にいると、いかに日本の存在感が相対的に小さくなってきているかは切々と感じる。

これまでは黙っていても見てくれていた、という状況はあったかもしれないけれど、これからは今までの数倍能動的にアクションを取っていかなければ、ある日ふと気がつくと、誰も日本を見ていない、ってこともあるかもしれない。というのは大げさとしても、それくらいの危機感で取り組むべきだと思う。見て、見て、僕らをもっと見て、と言い続けなければいけない。

2011年7月11日月曜日

久しぶりの深センにて

少々用事があって、午後からお隣の深センまでお出かけ。
イミグレーションを越えて地下鉄の乗ろうとしたところ、20mを越える長蛇の列。
何かと思ったら地下鉄なのに、改札前で手荷物検査をしている。

ははあ、と思い当たったのは8月に深センで開催されるユニバーシアードの大会。
交通規制が厳しくなるとか、就業ビザが取れなくなるとか、ピリピリしてきていることは知っていたけど、まさか地下鉄の改札で手荷物のスキャンをされるとは思わなかった。

ユニバーシアードの開会式前後は、特別な5連休が設定されるという話も。
大学生の大会とは言え、深センにとってはこれまでにない規模の国際大会になるので、
力の入れようも半端ではない様子。
そういえばいつの間にか地下鉄の路線も増えて、今や龍崗や空港、蛇口地区までも地下鉄で行けてしまうようになっている。
深センに住む人たちも楽しみにしているようで、誇りを持って迎えるという意識が強い。
あなどれない大学生大会、と思ったら大学院生も参加できるようで、年齢制限も28歳までらしい。


2011年夏季ユニバーシアード
http://ja.wikipedia.org/wiki/2011%E5%B9%B4%E5%A4%8F%E5%AD%A3%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%89

さて、ようやく改札口を抜けたと思ったら、エスカレーターが全て止まっている。
数日前に北京で起こったエスカレーター事故のせいだ、と すぐにピンとは来たけれど、
すぐに稼動を止めて検査を行うなんて、意外とやるじゃないか、と一瞬思ってしまった。
偏見かもしれないけれど、遠く北京で起こった事故に対して、深センでもすぐに対応を行う、
というのは、そうあるべきではあるのだけど、これが中国だと、おっ、と思ってしまう。

あまり詳細は知らなかったのだけど、深センオフィスのスタッフに聞いた所、
電車の駅のエスカレーターは通常は大量の乗客の利用に耐えられるよう、
デパート等に設置するエスカレーターとは違うものを使っているようだけれど、
今回北京の事故現場で使っていたのは普通のタイプのエスカレーターだったという話もあるとのこと。

四川の地震の時も、使うべき建築材料が使われずに施工されていたため、
多くの建物の倒壊を招き、結果的に多くの被害者を出してしまった。
現象は異なるけれど、その裏にあるロジックは一緒だなあ、と思った。
安全とコストを秤にかけて、コストを取る。
というか、結局はコストカットにはなっていなくて、誰かの懐に入っているのだけど。


中国:北京で地下鉄エスカレーター事故
http://mainichi.jp/select/world/news/20110706k0000m030072000c.html

北京に続き……深セン地下鉄でエスカレーター逆走、4人負傷
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0711&f=national_0711_093.shtml